前橋工科大学建設工学科梅津研究室、2005年度:修了・卒業生解説




記載2006年3月27日

男ばっかり、6名が旅立ちます。

左より、

高野は、小説書くのが好きで、漫画も描くとか書かないとか。長袖の白いシャツボタン全部はずして羽織っていましたな。
一見オタクで、話すとそれなりにオタク。ぼょ〜んとして、もぞもぞ、話すのに、これがびっくりしたことに、
研究発表は堂々と、でっかい声で、テキパキやっていた。すごい。
磁石で植物応用ってのを課題にしました。就職しないみたいな事言っていたのに、夏休み終わったらいきなり、
ソフトウエア会社かなんかに、決めていた。春からはスーツ着るのかね?
いつか、巨大小説家になんぞ、なる日が来るかもしれませぬ。

武藤。実に、武藤だった。名前覚えるまで時間かかった。ちょっとコワイ感じで、
「ぅ〜むぅ・・・ナニ研究させたら良いものじゃろう?」とちょこっと、悩んでいるうちに、
なんと、自分で決めたか仲間と相談したのか、
エンジンオイル処理だって。
ちゃんと夏には実験してたなぁ!えらぅい。実に、手のかからない卒研生の鏡となったわけです。
発表もなかなか堂々としておったの。将来はどんな大物中物になるやらとはいえ、
なかなか、実に、ユニーク。


松澤の良いトコ多い。この男は、一見みごとなオタクで、最初になかなか目をあわさず・・・・
調子がいいのやらなんやら、とっても、心配、なんて、思っていたのに。
そしたら実は、とってもまじめでとても勉強家だった・・・公務員受かればよかったのにぃと
思ったけど、就職先の人事の方がわざわざこられて、すん極いい人で、
〜あー。いいトコ就職したなぁ。人生どう転ぶか解らん。〜
「え?ボク転んだんですか?」
いやいや。しかしマァ卒研は大変だった。最後の追い込み。
一緒に徹夜したねー。シクシク・・・。
でも、良多は、とにかく、研究室でみんなと仲良く楽しくやれた、一年間だったんだ、と思ったょ。
 

次!私だ。私だけ、年をとる。あと何年かには、つるっぱげかも。

の次、
中込(ナカゴミ)じゅん である。一年2年の時からなんとなく印象に残っていた。
3年前卒業研究で目の前に現れたときは、
〜あー・・・この人ね〜
と、なんとなく納得。資格もたくさん持って、就職もそれほど苦労せず、
研究も、超オリジナルな植物菌類の硝酸吸収てのをマットウしたわけです。
髪姿を七変化させる大学院生。
最初の論文の文章は、涙ぐましかったが、ナカゴミも手がかからないマナミだったな。
地元に就職か。きっと、マイペースで思ったように、やって行くのでしょう。
髪はもう染められないかな・・・。

菅原せいき。とうとう、本格的にスーツを着る季節になった。その堂堂とした様は、同期の連中も、
あ、この風体では部長と呼ぶしかなぃ、と観念するであろう。
スガクマと親愛なる愛称を与えられ、数々の伝説を生み、JFEに入れたかったけどだめだった。
なんで?いや、スラグの研究したからサ。就職の苦労はクマ一倍。
面倒見のいい男で、きっと前世は、お父さんだった、に違いない。
実に思い出の多い、大学院生であった。そうか、4月からはスガワラは、いないのか・・・
痩せ大会が懐かしい。

「部長になったらおごります。」
それがスガワラの最後の言葉だった。なんて、エラィ!

「部長になる前は、ご馳走になります。東京に来て下さい。」
その前の言葉だ・・・・

じゃーん。本物のホストじゃねぇのか?と思う物腰の、車命の、石関は、
初心貫徹、春から大学院生です。礼儀も正しく、真剣なまなざし。
あとは、継続性かね。それと、どんなにゆっくりしゃべっていても、一単語が、速い。
なんと、ホタルの研究を、してくれよる。

問題は、次に合えるのはいつなんだ?と、まるで卒業生のようだが、
私がタコの紐引っ張る風情で、一緒にがんばるかね。
サティと共に。
おぃ早く実験始めろぅ!



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